釧路地方裁判所帯広支部 昭和41年(ワ)213号 判決 1968年2月28日
主文
理由
そこで、原告の蒙つた損害につき検討する。
ところで、幼児の得べかりし利益の喪失による損害につき昭和三九年六月二四日の最高裁判所第三小法廷判決は(1)幼児の得べかりし利益の喪失による損害の算定は困難であるが、不可能でなく、できるだけ蓋然性のある額を算定するように努力すべきである。(2)初任給は平均賃金より低く、次第に昇給するものであるから、そのまま平均賃金として、年令・勤続年数による変動を無視することは不合理である。(3)年令・勤続年数により収入が変動するならば、生活費も変動があつて然るべきである。(4)右損害額の算定において、その額の蓋然性に疑いがあるときは、被害者側にとつて控え目な算定方法を採用すべきであり、そうすれば損害額全体の算定にあたり慰藉料のみに依存する場合より客観性がある旨述べており、その後に公刊された下級裁判所の判決例のなかには(イ)収入、生活費とも変動させる方式(東京地方裁判所昭和四二年四月二四日判決参照)(ロ)収入、生活費とも固定させる方式(東京地方裁判所昭和四〇年五月一〇判決参照)(ハ)収入を変動させるが、生活費を一定率で固定させる方式(大阪地方裁判所昭和四二年四月一九日判決参照)(ニ)収入を一定時以降固定させ、生活費を固定させる方式(東京地方裁判所昭和四〇年一〇月六日判決参照)(ホ)収入を変動させ、生活費を一定時以降固定させる方式(旭川地方裁判所昭和四〇年五月一九日判決参照)の五方式があらわれているところであるが、本判決においては原告の主張する(イ)の収入、生活費とも変動させる方式によりながら、右最高裁判所の判決の指摘する(1)ないし(4)の諸点に留意しつつ、以下、本件における得べかりし利益の喪失による損害につき判断を進めることとする。
そうすると、被害者が、昭和三四年五月二四日生まれの男子で、死亡当時満五才九月であつたこと、第一〇回生命表によれば満五才の日本人男子の平均余命年数が六二・四五年であることは当事者間に争いがない。そうして<証拠>によれば、被害者は標準なみ以上の健康体であつたことを認めることができ、この点反証はないし、これに平均年令の一般的伸長、医学の進歩、衛生思想の普及という顕著な事実に照らすと、被害者は本件交通事故により死亡しなかつたならば、少くとも満六七才に達するまで生存しえたものと推認することができる。
つぎに、わが国の義務教育期間は小学校の六年間と新制中学校の三年間であり、通常満六才で小学校一年生に入学し、異常に知能が低いか健康でないかのいずれかでなければ、通例落第することもなくその後九年間で右義務教育を終了することは公知の事実であり、男子は新制中学校卒業後高等学校に進学しなければ、新制中学校卒業者として少くとも満五五才まで就職して稼働するのは経験則上明らかなことがらである。そうして、わが国においては学歴が賃金額決定において重要な基準となつていることおよび学歴の低いほどその賃金額の低いことは経験則上明らかなことであるから、収入の認定において小学校・新制中学校卒業者の平均賃金を採用することは最も控え目な認定方法ということができる。ところで、同一学歴であつても年令・勤続年数等により賃金額の変動のあることも前記(2)に指摘されているところであるから、このような最も控え目な収入統計に基礎をおくかぎり、幼児の得べかりし利益の算定にあたつても将来の収入の上昇・下降等を考慮すべきものと解する。
そうして、労働大臣官房労働統計調査部作成の「昭和四〇年賃金構造基本統計調査報告」なる統計表には「第一巻、第二表、学歴、年令階級及び勤続年数、階級別勤続年数、きまつて支給する現金給与額、所定内給与額及び特別に支払われた現金給与額の平均並びに労働者数」があり、「企業規模三〇~九九」の表の「小学・新中卒」の欄の表に労働者に平均月間きまつて支給される現金給与額(A)と平均年間特別に支払われた現金給与額(B)につき別表第一のA・B欄(実質的には別表第二のA・B欄と同じ)のとおりの記載のあることは当事者間に争いがない。そして、一般には企業規模の大きいほど賃金が高いとされているのであるが、<証拠>によれば、被害者の父松本啓一は地方公務員で新得町役場に就職し国民健康保険係を担当しており、被害者は健康明朗で幼稚園には行つていなかつたが読み書きができて、少くとも普通の知能をそなえていたことが認められるところ、これら被害者の家庭環境、被害者の知能等に鑑みれば、被害者は就職する際少くとも「企業規模三〇~九九」程度の大きさの企業に就職するであろうと推認するのが妥当であるから、被害者は稼働後その年令に応じ別表第二のA・B欄(実質的には別表第一のA・B欄と同じ)記載のとおり年間合計は同表C欄(実質的には別表第二のC欄と同じ)のとおりの収入があるものと認めるのが相当である。
ところで、右収入から控除すべき生活費の点については、被害者本人一・〇、配偶者〇・九、満一四才以上の子〇・六、満一一才以上満一四才未満の子〇・五、満五才以上満一一才未満の子〇・四、満五才未満の子〇・三とする「扶養家族の消費単位指数」があり、かつ被害者は満二四才まで独身で収入の八〇パーセントを自己の生活費として費消し、満二五才から満二九才までの間は配偶者はあるが子はなく、その後は配偶者のほかに扶養すべき子が二人あるものとして生活費率を算定し、収入から右生活費率を控除する計算方式によることは当事者間に争いがない。右計算方式によるときは実質的には被害者は満三〇才の日に扶養すべき子が二人出生するものとして生活費率の計算をすることとなるのであるが、通例子は一人ずつ出生すること、もし満三〇才の日に扶養すべき子が一人出生したとすれば一人の子の消費単位指数を計算に入れることなく扶養すべき子を一人として被害者本人の生活費率が算出され、その算出された率は子が二人出生する場合よりも高率となるから、残存利益率が少ないものとなり、結局得べかりし利益の喪失による損害額を控え目に計算することとなるのであるが、もともと子の出生自体不確定的な将来の予測の問題であるのみならず、このような計算方法によるのも被害者本人の得べかりし利益の喪失を算出するための技術的方法に過ぎないうえ(この計算方式によることは当事者に争いがなく)その計算方法の違いによる損害額の誤差は第一子誕生までの数年間分に相当する僅少なものと推計されるから、この程度の誤差は長い将来の予測とその予測の蓋然性に基礎をおく得べかりし利益の喪失による損害の算定のうえにおいて許された誤差とみるほかはないと解せられる。しかしながら、被害者が満三〇才のとき出生すべかりし右二人の子が何才になるまで被害者が扶養するものとみるべきかを考えるのに--この点も残存利益率と関連して損害額の控え目な認定問題と関係がある--通例高等学校をも卒業している満一九才以上の子を扶養家族とみるのは不合理であることに鑑み、被害者はその子らが満一八才まで扶養し、満一九才以上になると扶養しないものと認定するのが相当と認める。これらの諸点を考慮し右生活費率の算出方法により被害者本人の生活費率を算出するとその率は、被害者の年令に応じ別表第二のD欄のとおりとなり、収入に対する残存利益率は同表E欄のとおりとなる。そこで、前記C欄の各年間現金給与額に右E欄の各年間残存利益率を乗ずると同表F欄のとおりの各年間喪失利益額が算出される。
そこで、右各年間の喪失額を昭和四〇年三月六日現在の価額に計算するため、中間利息を民事法定利率である年五分の割合によりホフマン式計算法年毎式に従つて控除--その控除にあたつては年別民事法定利率による単利年金現価表を用い--し、同日における被害者の得べかりし利益の喪失額を計算すると金三、六五一、二七七円となる。そうして、前記被害者側の過失に鑑みるとこのうち金三、〇〇〇、〇〇〇円を被害者の得べかりし利益の喪失による損害額と認めるのを相当とする。
(丸尾武良)